沖縄伝承話データベース

語り一覧

宜志富紹長さんの語り

天川坂の粟飯攻め(しまくとぅば)

※Flash Playerがインストールされていないと、正しく再生できない場合があります。

【語りの梗概】

むこうから上陸できずに、山原(やんばる)から攻めてきた場合にな。粟飯(あわめし)は冷(さ)めにくいということで、老婆が(敵の)足にやけどをさせるために、天川坂(あまかーびら)で炊(た)いて、まいてあったんだ。まだ攻めてこないうちに。そうしたら、この内地の人たちは、腹をすかして来ているから、いい具合にそこに冷めてない食事があるもんだから、それを食べてしまって、余計に沖縄の人は、困ったという話だよ、天川坂(あまかーびら)の話は。そのとき鉄砲で腹をうたれた沖縄の人がいてな、でも、昔の人は、内臓を引っぱって歩いていても、大変だということは知らないから、死ななかったんだ。山原のことばで、「棒の先から火が出て、ハマダという人の腹を射抜いてしまった」と言ったそうだ。棒の先から火が出て、というのは、火縄銃のことで、鉄砲ということは知らないんだ。その棒の先から火が出て、ハマダの腹を射抜いてしまった。という意味なんだ。それで、内臓を引っぱって歩いても死ななかったんだと。その人はまだ野蛮の生活で鉄砲を知らないもんだから。大変だということが分かってから死んだんだって。

>>  宜志富紹長さん TOP