※Flash Playerがインストールされていないと、正しく再生できない場合があります。
【語りの梗概】
あの話は、沖縄がまだ分化しない時代のことだからね。家を葺くのも茅屋であって、瓦屋の家は無かったんだ。支那から技術を、瓦焼きの技術を持っている者を、沖縄に連れて来たんだね。ところが、もうこの人は技術の自慢をするので、沖縄の王府では、この人が何を言っても、その意のままに何でもさせたわけなんだね。するとほら、妻を連れて来てないので、女が欲しいでしょう、まだ若いのだから。それで、他人の妻になっている女をね、「この人を妻にする。」と言ったので、王府であっても、この男の願いをかなえてやらねばならないのでね、夫婦仲良く暮らしている人たちを、無理矢理に引き離した。王府の命令なのだから仕方がなかった。瓦焼きの技術を持っているのはその男一人だけだったらしい。瓦家というのは、瓦を焼く家という意味なんだ。壷屋にある焼物屋というわけだよ、これ。それで今の壷屋小学校があるのでしょう、そこら辺は元の壷屋なのだから。壷屋の家はこうして斜めかげんに、火がむこうに行くようにして造るんだよ、必ず。平坦には造らずにね。それで、この瓦を焼くのも技術が要るので、唐からその技術を持ってきたわけ。そのために、この男は自分の技術を鼻にかけて、もう沖縄で自慢して美しい女を妻にしようとしたので、ほらこれは人の妻だから無理矢理に夫婦を引き離して妻にさせたわけだ。すると、その女は、まあ嫌がっているからそれでいつも、この壷屋には高い丘があるわけだからね、この丘の上に登って、真南というと、だいたい東風平あたりか、そこらあたりになるわけだ、この那覇の壷屋からは。それでいつも、毎日もう、この夫が恋しくてね。その歌は、「瓦屋の頂上に登って。」頂上(ちじ)というのは、頂上という意味なんだよ。「瓦屋の頂上に登って真南の方を見ると。」というのは南だよ、まず。この壷屋から南には、自分の夫の家があるわけだ。「島影だけが見えて恋しい貴方は見えない。」というのはね、「島ぬ浦る見ゆる。」と、「浦」の「う」を入れると、一文字は余るわけ。琉歌というのは、八・八・八・六のだからね、「しまぬうらるみゆる。」というと九音になるが、「しまぬらるみゆる。」というと八音になるだろう。この音を合わせるために「しまぬらるみゆる。」というんだ。あの歌は、本当は「島ぬ浦る見ゆる。」というのだが、「う」の一音はぬいているわけ。夫を恋しがってね、それでこの夫を思っての歌が、「 瓦屋節」といってあるんだよ。あの歌は、もう夫婦仲良くしているのをあの職人が技術自慢をしてわがままを言ったために無理矢理(むりやり)に政府が、沖縄の王府が引き離したので、恨みの歌なんだよ。あの「瓦屋節」という歌は。この女は自分の夫が恋しくて、毎日この壷屋の高い丘に登って歌を詠んだそうだ。南向きだから東風平だろうか、南風原よりはこちらの豊見城あたりだろうか、そこら辺の人であるはずだよ。