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宜志富紹長さんの語り

ブントゥクウスメー(しまくとぅば)

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【語りの梗概】

沖縄から兵隊にとられるのは、沖縄は明治十二年にしか日本には移管してないから、言うなら明治十二年より後に生まれた人が、二十歳になっに時に、兵隊にとられたのが沖縄の兵隊の始まりよ、寅年生まれの人から兵隊にとったそうですよ。その兵隊に行くのを嫌がって唐に逃げた人はたくさんいるというよ。本部に、上地道場があるさあ。その人はその本部の上地という人の子か孫かであるはずだ。そのように兵隊になるのを嫌って唐に逃亡して行ったがね、ほらむこうではもうけようにももうけられないので、もっぱら空手ばかり習ったんだ。

この糸満のプントゥクウスメーという人は、もうその兵隊に出て期限が切れた後に沖縄に帰って来たわけであろう。三角跳びもしたんだと、その人は。(唐から)帰ってきたからよ、また那覇の野蛮な人たちが、渡地橋(わたんじゃーばし・明治橋)ね、ほらあそこからしか帰ってこれないさあ。ねえ、そこで、「お前を四、五人でやっつけてやる」と、待っていたがね、それだけ強い武士ともなれば、そんなやからは相手にならないんだ、ブントゥクウスメーは、ただ詫びをするだけだよ。頭を低くして詫びてよ、「通して下さい」と言えば、その人たちは、「通さん」と。「通さん」と言ってしか喧嘩はできないさあね、彼らは。そうなんだが、ブントゥクウスメーは海の方へ跳んで逃げたようだがよお、橋下からすぐに跳び上がって橋の上のこれらを越えて、逃げて行ったと。それが武士の三角跳びというものであると。

それから、そのブントゥクウスメーという人の親が、「ブントゥクーよ、お前は世間の話では、空手を習得しているということだが、まずは、手並を見せてくれ」とブントゥクーに言ったからね、ブントゥクーは三尺の雨戸を一枚取りはずしてね、それを庭に突き立ててね、その板戸の上で空手をやったって。それほど武士だったって。先の渡地僑においては、もうそこを五、六名でさえぎって通さないので、「通して下さい」と、ブントゥクーが言っても通さないから、後はよ、逃げるわけさ。まず、海に落ちていったというがね、その橋下からくぐりぬけてきてここ橋の上に来て、そこからあの橋下を上がったりしたと言っていたよ。沖縄の空手は、武士が使うんだ。沖縄の人といえども話としてしか知らない、その武士の実力は全然分らないよ。みんな隠していたんだと。

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