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【語りの梗概】
この人、人間というのは生まれるとね、何歳までというのは、すでに持って生まれているそうだよ。それで、その米寿祝いが始まったのは(ある子どもが)十八までの寿命だったそうだ。それで、この親はもうその子一人なので、大変心配してね、「もうこれはどうしたら長い寿命になるのだろう。」と考えていた。人の寿命を司る神はね、家で碁を打っていらっしゃるそうだ。毎日この人が司っているわけだ、寿命を。そうしていると、後にこの隣の人が教えてね、「そうか、それならね、何という人がこの寿命の係りでいらっしゃるから、この人は毎日家で碁を打っていらっしゃるから、何も言わないようにして、そばで御馳走を作って行き、君もいっしょに、碁を静かに見ていなさい。」と言った。すると碁に無中になっているので、御馳走を取っては食べ食べしながら、もう碁を打っては食べ食べしていた。それでもう長らくたった後に、神様にもうお願いをしたらしいよ。「私の子の、この寿命は、もう十八才までということだけど、どうかもうこの子は一人子なのですから、どうにかして、もっと寿命をのばして下さい。」とお願いしたからね。もうこの願いをした時には、御馳走を食べてしまっているのだから、この神様は仕方なく、「これでは本当に、これはどうにもならないな。」と言っていらっしゃった。だけど、もう御馳走は食べてしまったのだから、碁に夢中になっていて、この御馳走を取って食べたのも分らないのだから。それでもうこの神様はもう考えてしまった。それで八十八才になったらしい。人の生まれ年の誕生日の祝いはね、十三と、二十五、二十七、四十九、六十一、七十三。七十三は古稀と言ってね、稀にしか、この昔の人はこの歳まで生きないのだから、七十三の祝いをする人からはもう古稀、稀に見るということで、それで古稀というわけなんだよ。六十一才はまた還暦と言ってね。子丑寅と、十二支十干と言って、甲、乙から始まるとね、甲、乙は六回で六十になるでしょう、十だから。子丑寅は十二あるからね、五回では六十になるさ。この当たった年から数えてね、六十年目で、まず六十日とか六十年目に当たるでしょう。だから、この六十一年目には自分の生まれた年になるわけだ。