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【語りの梗概】
津波では、旧の八月九日、十日、十一日と三日三晩、隔年ごとに部落の豊年踊りを行っている。その最後には、蛇(じゃー)、龍を退治する踊りをする。母の話では、昔、一回だけこの蛇の踊りをやらなかった年があったらしい。そしたらその祟りが出て、姿形は見えないが、大蛇が口をカクカクさせる音がして、村中を通っていきよったそうだ。その後もいろんなことがあったんで、易者とかユタとかに習ってきたかどうかは聞いてないが、津波の部落としては、「これはもうぜひやらなくてはいかん」と大騒動があって、それからは、毎年やるようになったそうです。この龍退治は、本土で相当修行した坊さんが、小坊主を連れて国頭に行く途中、津波に蛇(じゃー)が住んでおるということを聞いて、「これは人畜に害を及ぼす動物だから退治せにゃいかん」ということで、津波の部落に来て、村頭に、「実はこういったことで来たが、ぜひ蛇(じゃー)の住んでいるところに案内してくれ」と言う。村頭は、「喜んで案内します」と言って、蛇が住んでいる場所に案内した。「蛇が住んでいる所はこちらです」と言う。そこで、坊さんがお経をあげる。そのお経の中に、「津波城にうみ(梅)んさくら(桜)ん、植いまわち」という文句が出てきますから、蛇は津波城にいたことになっているようです。そこに行くととたんに、蛇が出て来て、口を大きく開けてすぐ飛びかかろうとする。坊さんは恐れずにお経をあげる。蛇(じゃー)はこのお経に負けて退治される。この蛇退治を記念して行われる旧の八月十日の豊年踊りでは、一番始めの日の初日は仕込(すく)み、三日目を別りと言う。三晩ともお坊さんがお経あげたり、いろいろ爆竹鳴らしたりしてやる。蛇は竹に白い紙をくくって、竹であやつって蛇のしぐさをやるが、蛇の頭だけが藪の中から出て胴体は出てこない。古老の方から聞くと、退治するときに胴体は白い煙が立って見えなかったんだそうです。ということで頭だけ出ております。そういうふうにして蛇退治(じゃーたいじ)の行事を三晩やる。今は三晩とも蛇が出ていますが、自分達の幼少の頃は、三晩目はもう蛇は死んでいなくなったという意味から、この蛇は出さなかったんです。その蛇退治のときに坊さんが上げるお経はそうとう長いんで、先輩方が坊頭役の方にそのお経を教えるんです。坊さん役の人は、これを暗記してやるわけですから、「一言でも違うと祟りが出るんだ」ということをよく聞いておりました。これはその役の人に十分暗記させるための方便かもしれませんがね。