沖縄伝承話データベース

西原町の猿長者の語り

玉那覇ツルさん(西原町我謝)

玉那覇ツルさんは、1923年3月10日に西原町我謝に生まれました。聞き手は、沖縄口承文芸調査団の平識さんと平良真也さん、1990年6月25日の記録です。

【しまくとぅば】

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【語りの梗概】

ここはお金持ちの人、また隣には大変貧乏者のお爺さんとお婆さんだったって。ある年の夜、お金持ちの人の家の方に、「今日は泊まらしてください。」と言っているわけね。そしたから、もう年の夜に悪い人を泊まらしたらね、やがましいさね。それだから追い払って、それから、この人が隣の方に行くと、隣は「もう私たちの家は何もないけれど火正月であってもいいなら、中に入って火に暖まって火正月しようね。」と言って、こんなして年の夜を過ごしているわけね。そして朝になったから、「あなたたちは、大変心根ができているから、あなたたちが欲しいのは何であるか。」と言っているわけね。「そんならばね、もう私たちは年も取っているしね、お金も何も欲しくはないんだけれど、年が若くなりたいさ。」と言っているわけね。このときから若水のあれではないかね、あれは、「とぉ、釜に湯を沸かしてくださいね。」と言って、この旅人が薬を入れてから、「お爺さんもお婆さんも、とぉ、浴びていらっしゃい。」と浴びたから、十七、八の若さになっているわけね。そしたから、「とぉ、さぁ、あなたたちは御馳走も欲しいはずだからもうひとつの釜の方に湯を沸かしてください。」と言って薬を入れたから、すぐ海や山ぐらいの御馳走、揚げ物などもういろんな御馳走がすぐ鍋のいっぱい、それから正月はしているわけさ。それだから、「このぐらいの貧乏者たちが大きくワーイワーイ騒いで、御馳走もきれいな恰好して座っているが何になっているかね。」と隣のお爺さんがいらっしゃって、そして、「こんなこんなしてこの旅人がいらっしゃって泊まらしてと言ったから、泊まらしたからこんなであるよ。」と言って、いちいち言ったから、「私たちも泊まらしたらよかったのに。」と言って、大変気になっているんだが、それで追って行くとね、今からでもこの人は引っ返して来るはずだからと、追って行ったわけね。そしたから、「私たちに泊まってくださいよ。」と引き戻したから、「とぉ、お前たちも何がいいか。」と言ったから、「私たちも若くなりたい。」と言って、それで、「釜の方に湯を沸かせ。」と薬を入れたから、家族は猿になっているわけさ。心が悪いから全部人は猿になって、それから、キャッキャッキャッキャッキャッキャッーして、このお金持ちの人の家族は全部後ろの山の方に逃げているわけ。そして、「とぉ、お金持ちの人は全部猿になって家から出て行ったから、お前たちはもう心が良いから、このお金持ちの人の家に行って、あの家屋敷はあなたたちのにしなさいよ。」と言って、この貧乏者のお爺さん、お婆さんは若くなって、そこで暮らしているって。そしたから、この猿は毎日、私たちの家である。お前たちは出れ出れして、毎日、キャッキャッキャッキャッキャッキャッーして、この軒下の方で騒いでいるわけさ。そしたから、もうこの真のお爺さんたちは、大変困って、「どんなにしたら、この猿が来ないようになるかね。」と。すると、この前教えた人は神であるんだから、困っている自分になると、またも来ているわけよ。「どんなにしたらいいですかね。毎日、猿が来て、この雨垂れの下の方で鳴くんだが。もう私たちはそこには居ないでおこうかね思っているよ。」としたから、「とぉ、じゃ、この雨垂れの下の方に置いてある黒石を全部焼いてあそこにもここにも置いてしておきなさいよ。それで猿が来たらね、これの上の方に座るからこんなして焼いておけよ。」としたから、こんなこんなして焼いたから、この猿がまた山から下りて来て、「私たち家である。」と言っているようなんだね。キャッキャッキャッキャッーして、この黒石の上にこの猿が全部座ったからとっても熱いさね、痛いさ。それで、尻が赤くなってからによ。このときから猿は尻が赤くなって、そして、その後からは家の方には来なくなって、この正直なお爺さん、お婆さんはもう幸せに暮らすようになったって。

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