沖縄伝承話データベース

大宜味村の猿長者の語り

松本マツさん(大宜味村田港)

松本マツさんは、1892年2月11日に大宜味村田港に生まれました。聞き手は、沖縄県口承文芸学術調査団の山城悦子さん、金城和子さん 玉城実昭さん、1975年5月5日の記録です。

【しまくとぅば】

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【語りの梗概】

内地であったというが、昔、お爺さんお婆さんが正月の年の夜になっても、お茶だけをあがっている時に、天から神様が降りていらして、「宿を借りよう。」と言いなさったので、「もう今日はもう年の夜になっていますが、私達は米さえも無い。もうお茶だけを芋を煮てから、お茶だけを飲んでいるのです。そこには金持ちが沢山の米もあって、シンメー鍋の一杯もう人夫に食事も食べさせている金持ちだから、隣に宿を借りてください。」と言うと、「隣に行ったら、『今日は正月の年の夜だから別の人は泊めない。』と、言われて来ましたので、ここに宿を貸してください。」と。「もうそれならば、狭くてこんな汚い家だが借りてください。」と言ったら、神様は、「鍋を火にかけなさい。」と言いなさったって。「どの鍋をかけようかなあ。」と聞くと、「ハガマをかけてクヮンクヮンと湯を沸かしなさい。」と言いなさったので、ハガマをかけて水を入れてクヮンクヮンと湯を沸かしたら、ウシジャチ〔簪〕のカブ〔匙のようになっている所〕これだけを何やら入れたというが、ハガマにいっぱい御飯が炊かれて、「なんとまあ、不思議な事だなあ。」と、そのお婆さんはもう目を丸くなさっていた。それからもう年の夜、その天の神様がもう、「お前達は若くなるのとお金を取るのとどれがいいか。」と言いなさったので、「私達はもう若くなるんだったら、自分らで働いてお金は儲けて食べられるので、若くなったほうがいい。」と言うと、「そんならお前達を若くしようなあ。そこにシンメー鍋の一杯湯を沸かしなさい。」と言ったので、「シンメー鍋は無い。」と言って、隣の金持ちの家で借りて来て湯を沸かしたら、神様がまたその水にウシジャチで一杯若くなる薬を入れてからその湯を浴びたら、もう十七、八なったように若返った。

それでもう鍋を借りて行ったそのお婆さんは、借りるときはお婆さんであるのに、鍋を返しに来た姿を見て金持ちは、「なんとまあ、どうしてあんた達は、そんなに若くなって、なんと十七、八になっているの。どうしたのか。」と言うと、「私達の家に夜泊まりなさった人が、『若くなるのと、お金を取るのとどれがいいか。』と聞いたので、『若くなるほうがいい。』と言って、湯を沸かしてから浴びたらこんなにして私達は若くなっているんだよ。」と答えて鍋を返したって。「それで、その人はもう既に帰って行ったのか。」と。「もうどこら辺に行くはず。」と言うと、その金持ちの人はその神様を呼んで来て、「私達も若くしてください。」とお願いすると、神様は、「それじゃ、早く湯を沸かしなさい。」と言ったようだ。湯を沸かして、もうそこの大将が湯を浴びたら、そこの大将は猿になって、もうまた女主人もまたもうビーチャー〔麝香鼠〕になったり、家族は亀にもなった。それで、降りていらした天の神様が、その金持ちの家と財産をこの立派に若くなったお婆さん、お爺さん達にあげた。

そうしていると、猿が来て、「そこは私達の家だったんだよ。」と言っていると、また神様が降りていらして、「その猿が家を回って来ないかなあ。」と。「それじゃあ来たときには、どうしているのか。」と聞いたので、「この石にいつも腰掛けて、『お前たちは出なさい、ここは私達の家だから、今すぐ出なさい。』と言ってそこに来て座る。」と言ったって。「じゃあ、これが来る時分に、石を焼きつけて置いてからに座らせなさい。そうしたらそれからは来ないよ。」と言いなさったので、その石を焼きつけて置いたら猿がその石に座ったようだ。その焼き石に座ったから、「あ痛」と、それで猿の尻は傷がついているのはよう、その例えからで、その猿は傷つくようという昔話。

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