沖縄伝承話データベース

大宜味村の猿長者の語り

大城茂子さん(大宜味村謝名城)

大城茂子さんは、1921年12月19日に大宜味村謝名城に生まれました。茂子さんは、大宜味村の根神として御嶽に奉仕し、山原の民俗に関する貴重な証言を多く残しています。聞き手は、樋口淳さんと新城真恵さん、1983年5月21日の記録です。

【共通語】

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【語りの梗概】

正月の朝には古い井戸(カー)から若水を汲むが、それにはこんな由来がある。

昔、貧しい夫婦が金持ちの染物屋のとなりに住んでいた。大歳の夜に金持ちは賑やかに正月をしていたが、貧しい夫婦には食べるものがないので火を焚いて「火正月」をしていた。するとみすぼらしいお爺さんがやって来て金持ちの家に宿を借りようとするが、金持ちは「年の晩なのに縁起が悪い」と言って断った。お爺さんが貧しい家にやって来ると、「何もないがよかったら泊まってください」と家に入れてくれた。

お爺さんは貧しい夫婦に何が欲しいかと聞く。夫婦が「食べるものがないので隣の家に米を借りに行ったが断られた」と答えると、「それでは鍋に湯を沸かしなさい」というので、鍋を用意すると、お爺さんが少し米を入れ鍋一杯の御飯を用意した。

翌朝、また「何が一番欲しいか」と聞かれて夫婦は「若くなりたい」と願う。するとお爺さんは「元日の朝早く、人が起きない前に起きて水を汲んできて浴びなさい」と言って、出て行った。老夫婦が、その言葉に従って水を浴びると、二人とも若返った。

二人が金持ちの家に行ってそのことを話すと、金持ちは驚いて訳を聞き、大急ぎでお爺さんを呼び戻して「自分たちも若くして欲しい」と願った。するとお爺さんは、金持ちの染物屋を門の前に連れて行き、石の上に座らせた。石は焼けていたので金持ちは尻を焼き、猿になってしまった。

猿の尻が赤いのは、そのとき尻を焼いたからで、爪が黒いのは染物屋だったからだ。染物屋の家族は鼠になったり獣になってしまって、その家には貧しい夫婦が移り住み幸せに暮らしたという、若水の由来話があります。

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