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【語りの梗概】
御願所の由来は村々に木を植えても盗人に盗まれるので、具志頭親方が「そこを拝所にすれば、そこから木を切ると神の科を受けることもあるから」と言って村々に拝所を置いた。また松林を植えたのも具志頭親方である。具志頭親方は唐の人の子孫であるが、沖縄の王婿になったので摂政になった。位は名護親方の方が上であったが、首を切られてはかなわんと知らんふりをして、「フミラリ―シンシカン スシラリ―シンシカン ウチユラクラクトゥワタイブサン」と名護親方はおっしゃった。名護親方の作った碑文は今も名護にあるが、誰も読めない。友寄平敷屋が沖縄で殺された時、名護親方は唐にいたのだが、それが分った。名護親方が言ったことは全て的中している。「沖縄はカタカシラユーからボージャーユーにあるが、それからカンターユーになるが、カンターユーになれば沖縄は開けている時である。その時、名護も栄えるから兼久をつくれ」と言った。それが名護の大兼久である。沖縄にはあの人に勝る人はいない。