沖縄伝承話データベース

語り一覧

比嘉為昌さんの語り

上ヌ安里家の為朝の弓(共通語)

※Flash Playerがインストールされていないと、正しく再生できない場合があります。

【語りの梗概】

源為朝は、大島からきたんだが、嵐になったので、「運を天に任せよう」と言って、着いたのが今帰仁の運天港といわれていますよ。この為朝は、大里按司の妹を妻にして、尊敦を生んでいます。為朝が妻子と共に大和に帰ろうとすると、どうしても、船が進まない。それで、「これは、女を船に乗せたからだ」と船頭達に言われて、止むなく妻子を牧港のテラブのガマに置いて大和に帰ったという話もありますね。為朝の妻子が待ったので、そこを牧港と言ったというのは、有名な伝説です。仲順大主を頼ってきた義本の祖父は、この源為朝の子の舜天王だから、源為朝が使っていた弓というは、仲順大主を祀っていた上ヌ安里が立派に信じて、その弓を置いていましたよ。為朝は、弓の名人で大変強い弓を引いたそうだから、それで、この話は、造ったのではないかとの考えたのだが、やっぱし上ヌ安里の家にあったのは、本物の為朝の弓であったったそうです。あの弓は、私たちが童のころまであって、私も見せてもらいましたが、この戦世に無くなっている。また、弥勒もあったが、それも今度の戦でなくなっている。喜舎場に上ヌ安里の娘がいますから、あれに聞いても分かりますよ。

>>  比嘉為昌さん TOP