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【語りの梗概】
仲順大主は、中心に祀られた人だから、やっぱし誠な者さ。仲順流れの歌には、自分の子どもに仲順大主が、「おれをどうして養うか」と聞いた話がありますが、徳の高い仲順大主が自分の子に、「孫を殺して自分の嫁の乳を飲ませい」と命じた話がありますが、私はそんな馬鹿な話はないだろうと考えています。だから、私はそういう話はある信じませんな。これは、みんなの心を立派にするために、また、みんなが親を大切にするという考えかたを持つようにということで、こんな話が出たと思っています。それほど立派な一門なのに、仲順大主の子孫は浦添や首里にいらっしゃるが、ここには一人もいらっしゃらない。それでも、「仲順大主は、この仲順を仕立あげた按司だから」と言って、仲順では、九月一三日にみんなが集まって墓を拝んでいるんです。あのお宮は、仲順大主を中心に、義本王、舜天王の三名が祀られている。その仲順大主の位牌は、元は上ヌ安里の家に義本王と舜天王の位牌と一緒に置いてあったといいますよ。それが、「一箇所に置いたらいけない」と言って、上ヌ安里から安里が分かれる場合に、その分家するに安里に、「仲順大主の位牌は、お前が持って分かれなさい」と言うので、安里が分かれたときに持って行った。そして、その分家の安里が上ヌ安里の養子になったとき、位牌は上ヌ安里に戻されたが、またその後に分家の安里家に位牌が置かれるようになったというんだな。また、(仲順大主、義本王、舜天王の)三柱は、「お宮を造って皆で信心しないといけない」と言って、お宮を造ってお迎えしていたんだか、そのお宮はこの戦世でなくなってしまった。しかし、また建て替えて、その中に位牌は、飾ってある。