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比嘉為昌さんの語り

義本王とウナザラ御墓(共通語)

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【語りの梗概】

まあ自分らは、この話を生きていっしゃったら百五十以上なられます元屋の祖父母から、同じ一門である源秀も一緒に聞いたんです。為朝が日本の親に面会に行かれる時に、為朝の奥さんが大里村の方からお出でになって、待ったところが今の牧港というふうに歴史にあります。為朝の子の舜天王は、あれは沖縄の王の始まりだからね、義本王は舜天王の子だが舜天王は、義本王が七つのときにお亡くなりになった。そのころは琉球国だから、童が王を継ぐことができないので、「はあ、な、童は王は勤められないから」と王は継がさなかったって。そのあと誰が王を継いだかそれも分からん。その義本王は、始めはあちこち歩いて、「仲順大主は誠の人」と聞いて、「誠の人のところに行こう」というふうにして仲順大主を頼って来られて、最初は喜舎場の殿ヌ毛に来た。それで、そのあとナシの御嶽のそばにまた家を造られたから、あっちからこっちにまた家を造ったと今こっちでは信じている。そして、舜天王の父親の為朝は大和に帰ってこっちにいらっしゃらないから、こっちのお宮には仲順大主を中にして義本王と舜天王が立派に祀られている。また、そのころ奥さんのことをウナザラと言ったから、こっちに義本王のウナザラ墓という墓がありまして、こっちにウナザラの骨が今も祀られています。このウナジャラ墓は昔から岩の中に掘られている立派な墓で、デマードが全部掃除してあれこれかたづけたから、そこは掃除する必要もないぐらいだ。そして、按司の世は先ですが、喜舎場の一門は、あっちにいるときに別れた一門ですから、こっちの仲順の一門よりはずっと人数は多くなっています。これが自分たち一門の先祖になっていますよ。私たちの血筋はその義本王だから、それで、清明とか何とかにいつも私たちは義本王のナスの御嶽とウナジャラ墓を拝みに行ってますよ。

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