※Flash Playerがインストールされていないと、正しく再生できない場合があります。
【語りの梗概】
左御紋は王の関係の人たちだけが使う。現在の戸をハシルといったが、王がお亡くなりになると、龕を三つ、位牌の入る物、魂の入る物、その人が入る物を担いで、その玉御殿へ運んだ。その玉御殿には左御紋がある。沖縄は内地から戦がくると焼かれたので、玉御殿もなくなるんじゃないかということで、読谷の伊良皆の石の下へ置いた。新城親方はこの人は沖縄を助けた人だか、ここに置いてはいけないということだった。後に、ヤードゥイになったので、いいことをした人は調べて立派にすることになって、今は尚巴志の墓はそこにあるが、立派に祀ってある。柱もチャーギで二重堂を崇めている人は瓦ぶきにして、立派に祀っている。柱もチャーギで二重堂を建てていたが、戦で焼かれてしまい、墓だけが今のある。この尚巴志は今では知念知名にあがめられている。