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【語りの梗概】
伊平屋の王(後の尚巴志の父親)は、長い日照りで作物の全部枯れてしまった島の人たちに、倉にしまってある食べ物を分け与えていた。また魚を取るのがうまかったので、舟にいっぱいの魚を取ってきては、みんなにあげていた。しかし、島の人たちは、たったこれだけもらっても食っていけないと、この人を殺して倉のものを取ってやろうと、彼が漁に行っている間に道具などを準備していた。彼が魚を取って帰ってくると、浜で待っていた神が、「お前はあちらには帰らないほうがいい。あちらにいけば、殺されてしまう。村人はお前を殺そうと待っている」と言った。「どこへ行けばよいのか」とたずねると、「舟で、西に向いている村をさがしていきなさい。そこで栄えるから」と答えた。彼を殺しにやってきた村人たちをあとに、舟をこいで逃げ、着いたところは佐敷の村であった。彼はそこで海の岩にカヤをかぶせるだけの掘っ立て小屋をつくり、雨露をしのんでくらしていた。魚取りはうまかったので、舟いっぱいの魚を取ってきては、あっちこっちで売って生活をしていた。そこの城主の娘で美しい人がいた。親は、もう年ごろなので婿さがしをしていたが、どこからも、もらいに来る者はいなかった。そこで三世相(さんじんそう)に聞きにいくと、三世相は、「あなたの家の前を朝早く最初に歩く男を婿にすれば、国は栄えるだろう」といった。そこで二人の使いの者を門に立たせて最初に通る男を見はらせた。最初に通ったのは、伊平屋から流れついて、この佐敷で魚売りをして生活をしている彼であった。さっそく城内につれていかれ、娘を妻にして、私の後を継いでほしいと頼む。「それはできない、そればかりはどうか許して下さい」と断わったが、無理に頼まれて、しぶしぶ承知する。それから、彼は、子どもたちもおおぜいできて栄えたという。そのひとり尚巴志は佐敷の小按司ともいわれ、体は小さいが、大変な力持ちであった。そのため、あちこちから力くらべをしにくる人が多かった。ある時、三百斤もある煙草盆に火を入れて持ってこさせ、それを片手でもってキセルに火をつけ、力くらべにきた人に、「あなたもどうぞ」とすすめた。そこで力くらべに来た人は片手で持とうとするが全く動かず、両手でも持てなかった。「これぐらいも持てないか」というと、「私にはとてもできません」と帰ろうとした。「せっかくきたのだから、気のすむようにしなさい」といったが、「私が悪かった」とおそれをなして帰っていった。この人は与那原の浜に舟をおいていた。最初は潮のあるところにうかべてあったが、体が小さいとバカにされていたので、尚巴志が先まわりをして砂浜にあげていた。舟を出すことができず、海に出してくれと尚巴志に頼んだ。そんな舟も海に出せないのかと彼が強く押すと遠いところまで行ってしまった。力くらべに来た人は泳いで舟のところまで行った。尚巴志は強くて頭のいい人だった。この人は、六才になると母親のもとから出された。出されるとき、親から何かゆずってもらわないとでていかないといったので、母親はワラシンブー(ワラの芯)一本を与えた。それでも彼は、「親の譲り物であればよい。」といって、それをもらってでた。このワラシンブーを一本もって「味噌屋」の戸口に立っていた。芭蕉の葉で味噌をつつんでいた主人が、ワラシンブーをくれという。これは親の譲り物なのであげられないというと、それじゃあ味噌と代えてくれというので味噌とかえる。この味噌を持って歩いていくと、ナービナクー(ナベの修繕をする人)がナベの修繕をしている。鉄(かニ)を焼いて補修をしているが、がっちりあわない。子どもの味噌を見て、それをくれという。これは親の譲り物なのであげられないというと、それじゃ鉄(カニ)とかえてくれというので鉄とかえる。彼はナービナクが鉄を焼いてやわらかくするのを見て、真っ赤に焼いて刀をつくる。最初はなかできなかったが、とうとう三か年間かかって、すばらしい刀をつくった。海にいってフカにおわれてもこの刀をふりまわすとさしものフカも逃げていくほどだった。旅人が、この刀を見て、金のびょうぶと代えてくれといった。金のびょうぶなら刀よりいいだろうと代え、これをもって首里城にいった。そこへ、島尻の南山城の按司が二番大主といっしょに、この金びょうぶを買いにきた。しかし、これは親の譲り物なので、いくらでもゆずることはできないと断った。すると村と代えようという。それも断ると、それじゃカー(井戸)=嘉手志井戸と代えようといった。「嘉手志井戸となら代えてもよい」と返事をした。すると伴の二番大主は、「水がなくなったらおおぜいの人の命がなくなる。それとはかえるな」と按司に申し入れたが、按司は、「この井戸を首里まで持ってきて飲むわけにはいくまい。いつも私たちが汲んで飲めるからいいではないか」といって嘉手志井戸と代えた。尚巴志は、嘉手志井戸の水を飲んでいる三村の人たちに、いついつまでに家に水を汲んでおけ。それ以後は家に持たさないと通知をだした。村の人たちはなぜ水を飲まさないかと首里に談判にきた。尚巴志は、事のいきさつを説明して、証文を見せ、「嘉手志井戸は私のものだから飲まさない。帰れ」といった。それでも、水を飲ましてくれるまで帰らないといって村の人たちは我を張った。尚巴志は、「お前たちがそれほど水を汲みたいのであれば、お前たちのところの南山城の者をつかまえて、にがさないようにしなさい。そうすれば水を飲ませてあげよう」といった。村人たちは物をくれるのが我々の御主だといって帰っていった。そして、夕方になって石を運んで、寝込んだ時に全員で石を投げ、城の者をおさえつけてしまった。尚巴志に報告すると、そのままおいておくわけにいかないので、火をつけて燃やしなさいという。それで南山城を全部焼いてしまった。それからは、村人たちは嘉手志井戸の水を飲みたいだけ飲んだという。南山城を自分の手をわずらわすことなく、村人たちの手で落とした尚巴志は、今帰仁城(北山城)も戦わずして落城させた。今帰仁城には二番大主で本部ハイタラーという強い武士がいた。尚巴志は、それを知っていて、本部ハイタラーを手なづければ今帰仁城は落とせると考えていた。そこで新城兄妹に本部ハイタラーを手なづけて連れてこいと命令し、妹には黄金を持たせてやった。二人は本部ハイタラーに会って、尚巴志のところへくれば、いかなる望みもかなえてやるのでくるようにとすすめたが、ここからはどこにもいかないといって断った。そこで、女が黄金を彼のふところに入れてやると、やっと承知をしてくれた。しかし、これが按司にばれて、本部ハイタラーは切り殺されてしまう。尚巴志は本部ハイタラーがいなくなって弱くなったとみるや、今帰仁城におしかけた。今帰仁城の按司は強い部下をなくして戦うことができず、城の下のシジマガーラという川に自から落ちて死んでしまった。こうして三山を統一した尚巴志は、子どもたちにもあちこち分割しておさめさせ繁栄したそうだ。