沖縄伝承話データベース

百合若大臣の語り

美里泰公さん(多良間村字仲筋)

美里泰公さんは、1913年1月3日に多良間村字仲筋に生まれました。泰公さんは、「ずるく、ゆったりした人」のことを多良間では「百合若大臣」と呼ぶと語っています。多良間で百合若大臣の話がくらしのなかに生きていたことを示す貴重な証言です。聞き手は沖縄国際大学口承研の阿波根さん、1978年8月8日の記録です。

【共通語】

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【語りの梗概】

昔、武士か大工が七日七夜(晩)寝通しの人であった。どうしてそんなに寝てばかりいるか。時には海へ行って刃か武器か、そういう道具を持って行って、貝殻とか何とかを採って食べていた。その暇には、自分の道具を磨き通しだった。そして、ここでは「ずるく、ゆったりした人」のことを百合若大臣と呼んでいる。鳥がどこから来たのか、この人が死んだ時、沖から鳥が流れてきて死んだ。「鳥の塚」といってその鳥を葬るために城を建てたという話が水納にある。

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