沖縄伝承話データベース

百合若大臣の語り

知念勇吉さん(多良間村塩川)

知念勇吉さんは、1910年9月8日に多良間村水納に生まれました。勇吉さんはこの話をお母さんから聞いたそうです。1978年8月7日の記録で、聞き手は、沖縄国際大学口承研の渡慶次さんです。

【共通語】

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【語りの梗概】

百合若がどこから来たかは知らない。ただ、百合若が率いる船は戦争帰りであったらしく、飲み水がなくなったので水納島に立ち寄った。水納島には一泊する予定であったが、百合若のことをねたましく思っている家来達の謀(はかりごと)で、寝る時も起きる時も一週間以上そうしておれる百合若は、置き去りにされた。

帰ることのできない百合若は、海の中のアサリを採って暮らしていた。6尺の刀が5寸になるまで使って、そこで暮らしていた。その頃、妻が放した鳥が手紙を持って飛んできた。百合若は妻の手紙を読んで、返事を書こうとして、自分の腕を切って、したたる血で書く。その返事を鳥に持たせて鳥を飛ばしてやると、しばらく日が経った頃、今度は酒やご馳走を持ってきたが、その日は嵐で墜落する。百合若は墜落した鳥を探しに海辺に行き、死骸を見つけるとそれを山に持って行って葬ってやる。そこを鳥塚という。

ある日、水納の浜を歩いていると、船が見えたので東の干瀬へ行って助けを求める。しかし、聞いてくれないので口笛を吹いて呼ぶと、ようやく助けてくれる。そこをクチビシ(口干瀬)という。

百合若は無事に自分の故郷に帰る。そこでは王様を前にして、家来達が百合若の弓を引き勝負していた。百合若は、家来が誰一人として弓を引くことができないので、戦死したことになっているから名を名乗らず、自分たち平民にも弓を引かさせてくれ、と王様にお願いする。王様は何名かの平民の参加を許す。百合若は髪もボロボロ、服もボロボロの格好をして王様の前に出て、冷笑する家来達に向かって弓を射って、殺した。

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