沖縄伝承話データベース

百合若大臣の語り

加治久政治さん(竹富町 竹富)

加治久政治さんは、1906年7月6日に竹富町字竹富に生まれました。これは、1976年8月4日の記録で、聞き手は、沖縄口承文芸学術調査団の渡久地さん、下地さん、宮里さんです。

【共通語】

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【語りの梗概】

 昔々、もう城に、臣下どもを沢山持った王様が一人おられまして、ちょうど頭役が隠居をすることになりまして、まだ、誰が頭役ということがないのですが、もう王様は、「頭役になれそうな者が二人はおるが、この二人からどうしても選ぶんだ」と思っておられました。

ある日、もう城の者の観光旅行をするといって、その時分は、帆船でありましたから、馬艦船(まーらんせん)という帆前船に臣下が全部乗って旅に出まして、あっちっこち回って観光して歩くうちに、ある島に着いたとき、ちょうど水がもう切れて無くなってしまって、「どうしても水とらないとまた自分の国元に帰られない」ということで、水を探すことになったら、この頭役になりそうな二人が、「我ら二人が行って水を探してくるから、臣下どもは、みんな船に下りなさい。その間は、この島には温泉もあるから、船頭と皆さんは、休憩しておりなさい」と言って、この侍の二人は、島に降りて水を探しに出掛けたそうだ。二人の侍のうちの一人は、この船を降りる前に、こっそりと船頭に、「こっちは無人島だから、あいつをこの無人島に置いて行けば、自分が頭役になるのは決まっておる。実は、今度のこの旅行も、そのために企んだことだよ。ですから、あなたは、一つ私の言うことを聞いて、あいつを島に置き去りにするようにしてくれれば、城元においてもよくあなたをよいようにやれるんだから、この私に協力して、今日は必ず実行することだよ」と言うて、水を探しに出掛けたそうだ。もう一人の侍は、そんなことは知らないから、水が探せないから、どうしても探さんと帰れないと思って、もうずうっと遠い所にまで行っとるんだから、悪賢い侍は、「そう今だ。今だ」と言って、一人で馬艦船まで行くくり舟の所に行って、他に島に下りた五人と一緒になって、船頭に、「あれはもう分からん所まで水探しに行っているんだから、とお、今だ、今だ。出せ、出せ、出せ」と言って、くり舟にを出して、ずうっともう漕いでよ、馬艦船に乗ると、すぐに船を出したから、島に残された侍は、「おいおい、待て待て待て待て。どうしてお前達は、そんなことをするか。こっちは人間のおれるところじゃない無人島だよ。おいおいおい、帰さんか、帰さんか。帰さんか。」と言うても聞かないで、もう船はずうっと遠くまで行ってしまった。

島に残された侍は、「今日は、自分は、これはもうつまらないことやったね。ここは人間のおるところであれば、なんとか命ももうつないでいかれるけれども、こっちはもう無人島であるし、人間がおらないからもうこれはどうもこうもならない。自分はもうとうとう死ぬほかにはないんだな。しかしながらなんとか命はつなぐように方法を考えよう」と思って、あっち行き、こっち行きして果物類を探してようやく命は助かっていたが、しかし、七、八日ともなると、「もうここではこれまで食べてきた人間の食べ物を食べないと、人間の体というものは持つもんじゃないんだな。これはどうすればいいか、自分はこうして後二、三日後に通れば、とうとうもう死んでしまうが」と思って、心配しておりました。

そしたら、侍が朝起きて見たら自分の養っておった鳩が手紙を首に引っ掛けて来て侍の前に下りた。「ああ、これは自分が大事に養っておった鳩だね」と思ってこれを捕まえてみたら、首に手紙を書いたのを持ってきている。「ああ、これは家内の所からだ」と思って、この鳩を捕まえて、足は紐でザッと縛っておいて、「こりゃどうすればこの返事は出すか」どうして返事を書くかよくよく考えてみましたら、もう考えても考えても、どうしても考えられない。「筆さえあれば良かったねえ」と思うけれども、筆もない。「では、何かの棘で自分の指先から血を出して、血判を押して送れば、生きている証明になるんだから、そうこうじゃないとならない」と思って、自分の指先の血を出して家内の所から来ておった手紙に、もう血判を押してやった。

そしたら、この鳩はまたいつもの自分の家に行って、家内の所に下りたから、家内は、その鳩を捉まえて、自分がやった手紙を開けて見ると、これに血判が押されておりましたので、「あ、これは間違いなく生きておるんだ。どうしてもこの家に帰るんはずだ」と言ってもう待っておりました。侍は、その晩寝ると、夢を見るが、「家内が待っとるよ。早く国元に帰れ、帰れ。帰れよ」と言う夢を見られて、「あい、行きたいけど、どうして帰るかな」と思っておるうちにまた、「いや、あなたを乗せに来る船が来るから、その船で必ず今日帰りなさい」という夢であったんです。この人は、その晩、迎えの船が来るという夢の知らせがあったので、翌朝、まず海岸で下り、海岸を回ってみようとして回ってみたら、ちょうど大きな亀がもう波の来るところに座っておる。「ああ、これは昨夜私が夢を見たのは、船が迎えに来るよという夢であったけども、それはこの亀さんだね。まあ一つお願いします」と言って、この亀に乗って、もうずうっと行くうちにもう自分の国元に着いて、いよいよ自分の家に入れるようになりまして、「はあ、もうご主人さんが帰って来られたね。無事に帰られておめでとう」と言って妻が喜ぶと、「実は、わざとこうこうで置き去りにされた。わしはもう命はつながれない。もう死ぬんだと思っておるうちに、あなとのところから手紙も来るし、またその晩寝ておるうちにこういう夢を見せられた。あなたは早く国元に帰れよと言って、迎えの船が来るから、必ずこの船で一日も早く国元に帰れと帰れという夢だけれども、珍しい夢を見た。それで、船は海岸に着くから、まず海岸通りを回ってみようと回ってみたら、ちょうど亀さんが来ておった。これで助かって、もう帰って来た」と言って、こういう話をしたので、妻も、「はあ、もう二人幸福だ。もうあなたも命が助かって来たんですから、もうこれからは幸福になれるんだ。どうしてももううれしい」と言って、もう二人は懐かしいと言って喜んで妻が話すのには、「あなたと一緒に旅に行って、帰って来た人が今日頭役を命じられまして、明日はこれのお祝いだよ」と言うんだから、「何、何という。本当の話か。「これは間違いない。本当の話です」「その頭役になったのがけしからない野郎だ。これはもうすぐに行って何とかしないとならん」と思って、「それじゃすぐに行くんだ。」と言って、侍は、一生懸命なっとるんだが、妻の方は、「今少し体が衰弱してるからちょっと待って」と言うから、一日は用心をして身体を休めていた。

その次の日は、お城では、「もう今日は、我々の頭役もすでに隠居なさって、頭役を命じようとしておりましたところ、いよいよこの人がもう頭役に命じられたので、今日は意味深い、国のお祝いの集りだから、喜んで飲みなさい。食べなさい」と言って臣下達を喜ばしていたけれども、もう武勇の勝負をすることになったんだから、臣下みんな酔っとるんですが、「一つこのお城にあるこの弓をまず、一人一人みんなの前に出てこれを引きなさい」ということになった。それで、全部の臣下にずうっと身分の下の者から引かしてきたが、一人もその弓を引けない。侍を島に置き去りにしたも頭役になった侍も引けない。無人島に流されておった侍は、ずうっと下の方におりまして、「私が座興に引いて見ますから、まず出来るか出来ないかまずさせて下さい」と言ったら、そしたら、侍は無人島に行ってもうすでに死んでいないと思って、その男は侍じゃない他の人だろうと思ったらしいです。「おれらさえも出来ないのに、お前みたいな人間がこれ引きえるか」と言っても、侍は、「まず引かせてください。出来るか出来ないかそこは分かりませんがもう必ず私はやってみたいと思っておりますから、どうぞ引かせてください」と侍が何べんも何べんも申し込んだんですから、王様が、「では、あんなに望んでいるからさせなさい。」と、言われましたので、「じゃ、もう引いてよろしい」と言うから、出て行ってその弓を見て、「これは自分が王様から預かった弓だ。絶対間違いない。必ず引ける」と言って取ったら、もうみんな笑ったんですよ。「お前みたいな弱体の身体の人間が絶対にこの弓は引けない」。「いや、でもやるんだ」と言って取って、「あ、これはやはり自分の使った弓だ。大丈夫だ。間違いなく引ける」とこれはもう決心して、これ一人でもう引くんです。誰も引けない弓を引いたんだから、「ああ、これは」と驚いていると、その時に侍は、答えたらしいですよ。「水取りに行こう言われて行ったら、自分だけ無人島に残されて、もう命はなかったんだけれどもようやく命はついで、またこのわしが務めておったこの元の城に戻って来ました」。「それじゃもう今日は、頭役のお祝いであったけれども、もうこれよりこれは強いんだから、皆の前で、まず剣術の試合までさせよう」と剣術の試合させてみたら、もういよいよこの無人島におった侍が、剣術でももう勝ったので、王様は、「もう頭役のお祝を盛大にしておったが、この侍が頭役になるのはこれは当然はっきり決まっておるので、もうこれで今日の祝いは取り消して、改めていつかまた皆にお祝いさせましょう」と言って、祝いが終わったから、その頭役になっていた人は、もういよいよここの城元にはおれないので、もうこっちから立ち去って行って、この無人島におった侍がいよいよ頭役となったようです。

馬艦船(マーラン船)‥‥‥‥近世中期以後、沖縄で最も普及したシナ式ジャンク型の島内船。「マーラン」の呼び名は唐音をそのまま路襲したもので、一八世紀の初頭頃中国の福建省から伝来した。

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