沖縄伝承話データベース

百合若大臣の語り

安里武蒸さん(粟国村 浜)

安里武蒸さんは、1918年11月11日に粟国村字浜に生まれました。これは、1981年05月16日の記録で、聞き手は、沖縄国際大学口承研の遠藤庄治さん、伊良皆さんです。

【共通語】

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【語りの梗概】

八重山を平定して首里へ帰る途中、水がないかと大将の百合若たちは多良間村の水納という小さい島に飛び降りた。すると二番大将は野心があって、百合若を置き去りにした。船もなく、百合若は仕方なくその島で一人で暮らしていた。何年か過ぎて、ある日、浜で魚を拾っていると鷹が飛んできたので、口笛を吹くとスーッと下りてきた。それは百合若が首里で飼っていた鷹で、主人を探していたのだ。一方、二番大将は首里に戻り、「実はこうこうで、大将は八重山で死んだ」と報告すると、その人が取り上げられ相当の地位に付いた。百合若の妻は、「主人はあの人より武勇に優れていて、死ぬわけがない」と鷹を使わしたのである。ところが(百合若は)返事を書く紙がないのでソウシチ草に書いて、鷹の腋にはさんで返す。それで生きていることを知る。その後、百合若が台風のあとの浜辺を回っていると、鷹が死んでいた。よく見ると袋に入ったユーヌク(はったい粉か?)を持っていて、それが雨に濡れ、重くなって落ちたようだ。墓を建ててやった。その後、(百合若は)何かの都合で首里に上がるようになる。でも直ぐに首里に行くことはせず、その辺のウンチュー(おじさん)に変装して隙を狙っていた。ある日、弓を引く大会があり、そこへ行くと大将たちはどうしても弓が引けない。見ていたウンチューが高笑いしたので、「お前は引けるか」と言われ、「引く」と言って弓を引く。そして大将に、「お前はおれの顔を覚えているか」と言って仇を討った。今でも多良間水納には百合墓がある。

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