沖縄伝承話データベース

宮古島の猿長者の語り

羽地栄さん(平良市字西里)

羽地栄さんは、1913年3月1日に平良市に生まれました。聞き手は、沖縄国際大学口承研の遠藤庄治さん、砂川さん、伊佐さん、照屋さん、知念さん、1996年9月4日の記録です。

【共通語】

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【語りの梗概】

昔、貧乏な年寄りの夫婦がいた。明日、正月を迎えるという日になっても何も買えないほどの貧乏であった。おじいさんは隣の金持ちに米を借りに行ったが貸してもらえず、「それでは今年は火正月をしよう」と言い、カマドに火を焚いて温まっていた。すると一人の白髪の老人がひょっこり現われ、「どうして、正月だのに何をしているのだ」と聞くと、老夫婦は「隣に米を借りに行ったが、米袋さえも貸してもらえなかった」と今までの話を一部始終聞かせた。老人が「どうしてあいている米袋を欲しがったか」と問うと、老夫婦は「その袋に付いている数粒の米を全てたたき出して、その米で正月を迎えようとした」と答えた。老人は「それではなるべく大きな鍋に湯を沸かせ」と言い、その鍋に老人が何か入れたと思うや否や、たくさんのご飯やご馳走が出てきた。そして老人は「これで年を越しなさい」と言った。

翌朝、また老人が訪ねてきて、「よい年越しが出来たか」と聞いたので、老夫婦は「お陰さまで」と感謝した。老人は今度は「金持ちになるのと若返るのとどっちがいいか」と問うたので、「若返りたい」と老夫婦は答えた。老人はまた鍋に湯を沸かせと言い、その湯で浴びなさいと言った。夫婦が試してみると見違えるほど若くなった。

隣の金持ちが若返った理由を聞いたので、夫婦は昨日からの出来事を全部話した。それを聞いた金持ちは早速老人を探し出し、老人の言うとおり湯を浴びてみると、若返るどころか猿になり、家を飛び出した。

それでこの夫婦は隣に住むようになったが、猿は毎日、家を返せと言いに来るようになったので、夫婦は老人に相談した。老人は、庭の黒石を焼けと言ったので、夫婦はその通りにした。その日も猿はやって来た。何も知らずに石の上に座ると熱さの余り逃げ出してしまい、二度と来なくなった。それから猿の知りは赤くなった。また、それから正月には「イイ正月デービル。若クナミソーチ」と言うようになった。

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