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【語りの梗概】
この墓のことですが、子供が(母親の)腹から出てきたそうです。(ちょうど)墓の中でのことです。それで(子供は)棺桶の上で四つん這いで歩いていました。その頃母親はお店に毎晩お菓子を買いに来ていたそうです。毎晩お菓子を買いに来てお金も支払っていました。四・五回ほどお菓子を買いに往復していたそうです。(それで)お店の主人が不思議に思い、「この人が持ってきているお金は本物だろうか」と思ってね、見たら、お金ではなく、灰になっていたそうです。灰になったので(主人は)、「よし、彼女に(お菓子を)売って、彼女の後を尋ねてみよう」と、ついて行くと、墓だった。(それで墓の主に、)「貴方達の墓は、母親は(埋葬して)送っているが、子供はこの中で生きているよ」と言ったけどね。うん、墓の中で、人間になっているって。「そんなこともあるか」と、いってね、不思議に思って行ったら、お菓子で子供を育てていたことが分かりました。それでお金というのは、この後生の人の、私達が紙打ち、紙打ち、紙打ちですね。お金の型を作って紙をあぶるでしょう、法事に。そのお金を、それを彼女がお金だと持ってきて払っていたようです。(しかし)お金ではなく、後生の人は、確かに、打紙で打った紙をお金だといっているんだなぁー、と思って、その時に確かめて、この子供を連れてきたという話です。昔(むかし)は(その子のことを)シカマグチと呼んでいたという話です。その子はシカマグチという名を貰ったということです。打紙を打って、四十九日、新七日や四十九日に、みな、そうして使うでしょう。このお金で、これをお金だといって持って行って、もう、人間を騙したのだろう。そして、見たら、お金だが、翌日お金を計算してみると、お金ではなく灰になっていたそうです。それで、尋ねて(後をついて)行ってね。(法事の時は)打紙は品切れにすることはできないということです、今でも。