ヨーロッパの民族学

クセジュ文庫760
ヨーロッパの民族学
ジャン・キュイズニエ 著|樋口淳・野村訓子・諸岡保江 訳|白水社|定価980円

民族学が、研究の対象とする「民族」とは何でしょう。

これは、なかなか難しい問題です。

ごく一般的に言えば「同じ文化または生活様式を有する人間集団」(平凡社『世界大百科事典』)くらいが妥当ですが、その「同じ文化または生活様式」とは何でしょう。

それは、まず言語ではありません。たとえばボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人正教徒とムスリム人は、同じセルビア・クロアチア語を話しながら、自らのアイデンティをかかげて激しく戦いました。

それはまた宗教でもありません。多くの近代国家では信仰の自由が保証されていますから、同じ日本民族のなかにもさまざまの宗教が共存しています。

そして生業や親族組織も「民族」を特定する決め手にはなりません。都市化の進んだ現代では、同一民族の間にもさまざまな職業があり、結婚の形態があります。

また居住地も決め手にはなりません。ユダヤ人やロマ人(ジプシー)たちは、世界各地に分かれて住みながら、自らの民族性を忘れることはありませんでした。

つまり、それぞれの「民族」が、それぞれのアイデンティの確認装置をもっているのです。

こうした定義の難しさにもかかわらず、民族学という研究領域が可能であったのは、これまでの民族学がもっぱら自分たちの文化とは性質の違う、周縁的な「異文化」の記述と理解に力を注いできたからであると言えるでしょう。

そしてその自文化の理解は「民俗学」の手に委ねられてきたのです。

本書で、キュイズニエが試みているのは、そうした「民族学」と「民俗学」の棲み分けの解体です。

たしかに、私たちが「自文化」と考えるものと「異文化」と考えるものの間には、さまざまな差異が存在します。

しかし、たとえばEUの努力に見られるように、国家という強固な枠組みを越えて「国家共同体」を目指そうと考える時には、その共同体内に存在するさまざまな差異と共同性に目を向けないわけには行きません。

そして、このような国家の枠組みを越える試みは、私たちが現在直面しているグローバリゼーションの深化のなかでは、必須のものとなるでしょう。

私たちを取りまく文化の多様性正確に記述すること、理解することが、私たち人類の共通の課題となりつつあるのです。

本書の分析は、もっぱらヨーロッパに向けられていますが、これから私たちが目指さなければいけない「宇宙船地球号」の共通の難題解決に向う民族学の、第一歩を示していると考えられます。