妖怪・神・異郷

妖怪・神・異郷 = 日本・韓国・フランスの民話と民俗
樋口淳 著|悠書館|定価2,000円

日本でも、フランスでも、韓国でも、そして世界中のどの地域でも、私たちの人生の構造はシンプルです。

人は、いつかどこかで「この世」に生まれ、またいつかどこかで「あの世」に旅立ちます。

人は、いったいどこから「この世」にやってきたのでしょう。そして一体どこ(あの世)へ行くのでしょう。

「あの世」の問題は、シンプルで複雑です。

私たちは、誰でも自分たちが「どこから来て、どこへ行くのか」という問題の答えを探していますが、誰一人として決定的な答えに辿り着くことはありません。

そしてまた、私たちの「この世」での暮しもシンプルで複雑です。

私たちがこの世で過ごす時間は、生まれてから死ぬまで、片時も休むことなく、直線的かつ不可逆的に流れていきます。

しかし、この「直線的な時間」は、その一方で天体の運航に支配された朝・昼・晩という一日、正月という新年から春夏秋冬をへて年末(大歳)まで繰り返す一年という、「円環的な時間」と組み合わされています。

私たちは、この繰り返す時間を、時計の針にしたがって60進法の秒や分や時間に分けたり、12進法で分けて一日を24時間にしたり、一年を12進法の月に分けてコントロールしようとしています。

もちろん、この時間の繰り返しは、日本や韓国やフランスのように四季の区別が比較的はっきりしている国々や民族と、極北にすむイヌイットや、グリーンランドやスエーデン・ノルウェーなどのように、一年が夏と冬の二つの季節しかない国々や民族、そして赤道直下の一年中真夏の熱帯で暮らす人々との間では繰り返しのルールが異なります。

しかし、たとえばマルセル・モースが記録したイヌイットの人々の暮しの場合のように、それぞれの国々、それぞれの民族には、一年や一日や季節という繰り返す時間をライフスタイルのなかに織り込む、それぞれのルールがあります。

本書では、まず日本・韓国・フランスという四季の区別が明確で、伝統的な生業として主に農業と漁業と牧畜を営んできた三つの地域の人々が、どのようにして人生の直線的な時間と円環的な時間を組み合わせ、あの世とこの世の折り合いをつけて来たかを考察します。

私たちは、繰り返す円環的な時間のなかに、新年やお彼岸、復活祭やカーニヴァル、お盆や秋夕、ハロウィーンやクリスマスのように、あの世(異郷)からご先祖さまや来訪神(神さま・妖怪)を迎えて、あの世とこの世の境界を取り払い(「地獄の窯」のフタを開けて)、この世にあの世の交流をはかり、あの世のエネルギー(パワー)をこの世に迎え入れる祭りを催してきました。

比較的こうした祝祭の仕掛けは、日本・韓国・フランスのように四季の区別の明確な地域では、とてもよく似ています。
しかし、イヌイットや北欧のような極北の人々や、熱帯に暮らす人々との間にも、あの世からこの世にパワーを迎えいれる、共通の装置、祝祭が見られます。

人生の構造は、世界中どの国でも、どの民族でも、シンプルなのです。